「忘れられた魂~宮島の原爆死者たち」より

オバマ大統領が広島を訪れた今年、広島経済大学の学生たちが知られざる宮島の被爆者たちについて取材し、制作したドキュメンタリー「忘れられた魂~宮島の原爆死者たち」が第36回「地方の時代」映像祭で奨励賞を受賞した。作品の全編がYouTubeで観られるのでぜひ観てほしい。映像はこちら。

「地方の時代」映像祭は、1980年に地方の放送局や地方自治体が制作した映像作品の祭典として始まった。

文化というものは、それぞれの地方で培われてきたものだが、テレビが普及すると、中央から地方へと情報を発信することが多くなり、地方独自の文化の力や、地方から発信される情報の力が弱まるようになった。それをすくい上げて全国に発信することは、日本という国の多様性を保つ意味でも80年代という時代にも意味があったと思うけれど、この「地方の時代」映像祭自体あまり多くの人には知られることないまま30数年が過ぎたように思う。

しかし、テインターネットがテレビから情報ツールの主役を奪うことによって、逆説的にこのような地方のテレビ番組が全国へと発信されるようになった。アナログの時代には全国に発信するにはコストがかかったために中央からしか情報を発信できなかったが、デジタルの時代には情報の発信コストが下がったことによって地方どころか個人でも全国へ、さらには世界へと情報を発信出来るようになったのだ。

この現象についてはまだ自分なりの考えをまとめきれていないのだが、地方からの映像を集めた特集上映なども行われているし、このようにして観られるようになった地方のテレビ局の番組や全国の個人が発信する映像を観ると、その中には「これは観るべき」と感じられるものが結構ある。


『人生フルーツ』

来年頭に東海テレビ放送制作の『人生フルーツ』という映画が公開されるが、東海テレビ放送は、テレビ局としては意欲的なドキュメンタリー作品を数多く制作し、それを劇場作品としてこれまでも公開してきており、この作品がその10作目になるという。これまでの作品の一部がBSスカパー!の日本映画専門チャンネルで今月から放送されるという。これは観なくてはと、ついつい契約してしまったので、この作品群についてはまた別に書くことになると思う。

今回取り上げたこのショートフィルムも、宮島の被爆者という埋もれた記憶を掘り起こし、それを後世に伝えるという点で意味があるし、情報偏重の時代にはこのように埋もれてしまう記憶が全国にあったのだろうということを考えさせられる。この作品のように今、その記憶を掘り起こすことも大事だし、当時それを記録した映像がどこかに残っているかも知れないなとも思った。学生が作っているので、映像としては素人っぽさは否めないが、それでも観るべき作品になっているのは、他ではほとんど取り上げてこられなかった視点であることで、映像作品のもつ「忘却に抗う」という意味に貢献するものだからだ。

この「忘却に抗う」という意義は、長くソーシャルシネマが担ってきたものだ。この作品の中にも登場する『さくら隊散る』(参考記事)は新藤兼人監督の名作の一つ。新藤兼人は日本初の原爆映画といわれる『原爆の子』(参考記事)も監督している。広島出身ということもあるけれど、新藤兼人は社会問題を劇映画にすることで問題提起をするとともに、後世にわたってその問題を私達に問いかけ続ける。

原爆のことを私たちはもちろん忘れていない。しかし、本当に原爆がどのようなものであったか想像できるだろうか?あるいは想像しようと努力しているだろうか。新藤兼人のこれらの作品を観ると、やはりいまとなっては原爆の記憶も薄れてしまっているとうことを感じる。なんど見ても見るたびに、自分の想像を超えた悲劇がそこにあったということを思わずにはいられないのだ。

ソーシャルシネマというものを考えた時、今の時代の視点で社会の問題を考えた作品に注目することに基本的にはなるが、その視点というのは限られたものでしかないということを改めて思い知らされた。その時代時代の視点、現代であっても地方ごとの視点、それをいまここで見ることが出来、それを材料にこれからについて考えることが出来るのが映像作品のいいところなのだから、今だからこそ観るべき映像作品を掘り起こしていくことというのも必要なのだろうとおもった。特に新藤兼人は、劇映画であっても現実に肉薄し、今私達が知るべきことをリアリティをもって教えてくれる。

ishimuraBlogShort Film原爆,新藤兼人
「忘れられた魂~宮島の原爆死者たち」より オバマ大統領が広島を訪れた今年、広島経済大学の学生たちが知られざる宮島の被爆者たちについて取材し、制作したドキュメンタリー「忘れられた魂~宮島の原爆死者たち」が第36回「地方の時代」映像祭で奨励賞を受賞した。作品の全編がYouTubeで観られるのでぜひ観てほしい。映像はこちら。 「地方の時代」映像祭は、1980年に地方の放送局や地方自治体が制作した映像作品の祭典として始まった。 文化というものは、それぞれの地方で培われてきたものだが、テレビが普及すると、中央から地方へと情報を発信することが多くなり、地方独自の文化の力や、地方から発信される情報の力が弱まるようになった。それをすくい上げて全国に発信することは、日本という国の多様性を保つ意味でも80年代という時代にも意味があったと思うけれど、この「地方の時代」映像祭自体あまり多くの人には知られることないまま30数年が過ぎたように思う。 しかし、テインターネットがテレビから情報ツールの主役を奪うことによって、逆説的にこのような地方のテレビ番組が全国へと発信されるようになった。アナログの時代には全国に発信するにはコストがかかったために中央からしか情報を発信できなかったが、デジタルの時代には情報の発信コストが下がったことによって地方どころか個人でも全国へ、さらには世界へと情報を発信出来るようになったのだ。 この現象についてはまだ自分なりの考えをまとめきれていないのだが、地方からの映像を集めた特集上映なども行われているし、このようにして観られるようになった地方のテレビ局の番組や全国の個人が発信する映像を観ると、その中には「これは観るべき」と感じられるものが結構ある。 『人生フルーツ』 来年頭に東海テレビ放送制作の『人生フルーツ』という映画が公開されるが、東海テレビ放送は、テレビ局としては意欲的なドキュメンタリー作品を数多く制作し、それを劇場作品としてこれまでも公開してきており、この作品がその10作目になるという。これまでの作品の一部がBSスカパー!の日本映画専門チャンネルで今月から放送されるという。これは観なくてはと、ついつい契約してしまったので、この作品群についてはまた別に書くことになると思う。 今回取り上げたこのショートフィルムも、宮島の被爆者という埋もれた記憶を掘り起こし、それを後世に伝えるという点で意味があるし、情報偏重の時代にはこのように埋もれてしまう記憶が全国にあったのだろうということを考えさせられる。この作品のように今、その記憶を掘り起こすことも大事だし、当時それを記録した映像がどこかに残っているかも知れないなとも思った。学生が作っているので、映像としては素人っぽさは否めないが、それでも観るべき作品になっているのは、他ではほとんど取り上げてこられなかった視点であることで、映像作品のもつ「忘却に抗う」という意味に貢献するものだからだ。 この「忘却に抗う」という意義は、長くソーシャルシネマが担ってきたものだ。この作品の中にも登場する『さくら隊散る』(参考記事)は新藤兼人監督の名作の一つ。新藤兼人は日本初の原爆映画といわれる『原爆の子』(参考記事)も監督している。広島出身ということもあるけれど、新藤兼人は社会問題を劇映画にすることで問題提起をするとともに、後世にわたってその問題を私達に問いかけ続ける。 原爆のことを私たちはもちろん忘れていない。しかし、本当に原爆がどのようなものであったか想像できるだろうか?あるいは想像しようと努力しているだろうか。新藤兼人のこれらの作品を観ると、やはりいまとなっては原爆の記憶も薄れてしまっているとうことを感じる。なんど見ても見るたびに、自分の想像を超えた悲劇がそこにあったということを思わずにはいられないのだ。 ソーシャルシネマというものを考えた時、今の時代の視点で社会の問題を考えた作品に注目することに基本的にはなるが、その視点というのは限られたものでしかないということを改めて思い知らされた。その時代時代の視点、現代であっても地方ごとの視点、それをいまここで見ることが出来、それを材料にこれからについて考えることが出来るのが映像作品のいいところなのだから、今だからこそ観るべき映像作品を掘り起こしていくことというのも必要なのだろうとおもった。特に新藤兼人は、劇映画であっても現実に肉薄し、今私達が知るべきことをリアリティをもって教えてくれる。